一隅を照らす運動 The Light Up a Corner of the World Activities


人間の取り分 実践3つの柱のお話

1.生命 人間の取り分

現代生物学からみると、地球上の生きものすべてはDNAという物質を基本として生きていているということです。つまりこれはあらゆる生きものが共通の祖先から生まれた仲間であることを意味し、人類だけでなく地球上のすべての生きものは広い意味でまさしく仲間なのです。

キリスト教の言葉で「人はパンのみに生きるにあらず」というのがありますが、人間、生きてくためには食べものが必要です。食は命を養い、心を養う糧でもあります。日本では周りに食べ物があふれているので実感がわきにくいかもしれませんが、地球上のあちらこちらには、この瞬間にも飢えている人、特に飢えに苦しむ子どもが大勢います。

第253世天台座主であった故・山田恵諦猊下(やまだえたいげいか)は「今日まであった10あったパンを10人が仲良く食べていたのを、パンができないか、あるいは減るかもしれません。もし減らずに持たせても、10人が食べていたのを15人が食べなければならないことになってきます。その時、10のものを15人がどうすれば仲良く分けることができるかを思案しなければなりません。知識は必要ですが、これからは思いやりの深い人をつくることが大切であります。そうすれば10のパンを15人がどうすればよいかということをケンカなしに分ける時代がやってきます」と常々述べられていました。

今のところ、日本では食べ物が大きく不足していませんが、食べ物を諸外国からの輸入に依存している現実があります。今は食料輸出国のお陰で輸入できていても、これから先、農作物の生産や食べ物の供給は絶対に大丈夫といえるでしょうか。世界を見渡せば人口増加は続き、食べる人数が増えるだけでなく、地球温暖化の影響もあって世界各地で食べ物の生産方法や生産量も変化しています。

ところで、仏教には五つの基本の戒があり、五戒といいます。その一番目が不殺生戒(ふせっしょうかい・生きものを殺さないこと)です。「生きものを殺してはなりませんよ」ということを100%守っているかと問われて、ハイと答えられる人はいないはずです。それは、毎日の食事をみればおわかりのように、私たちが自らの命を保っていけるのは、様々な命の犠牲のお陰です。それでは、なぜ「不殺生戒」というものが定められているのでしょうか。

これは、「生きものを殺してはなりませんよ」という教えによって、まず私たちは他のいのちを奪っているということに気づくことと、そして人間の身勝手を抑制することではないでしょうか。

大自然の恵みや大勢の人々のお陰に感謝して食べよう大自然の恵みや大勢の人々のお陰に感謝して食べよう

私たちは普段の食事の時、食前に「いただきます」、食後に「ごちそうさま」といいます。これは日本の行儀作法であったり、料理人や食事を提供くださった方への感謝という意味だけではありません。私たち人間は生きていくために、生命を維持するために実にいろいろな生命を奪ってしまっています。

牛や豚や鳥や魚の生命を奪い、食べています。お米や大根やお芋だっていのちがあります。船上の魚がピチピチ跳ねるのも苦しいからに違いありません。どんな生きものも死が苦しみであることは私たち人間と同じはずです。

このことをしっかりと認識するために、「いろいろな尊い命をいただいて、それらの命の分、精いっぱい生かせていただきます」と、反省と感謝の心をもって「いただきます」「ごちそうさま」と合掌するのです。ついつい自分のものと思いがちなこの生命ですが、実は大自然のあらゆる命の営みから恩恵をいただいている、生かさせていただいているということを再確認しましょう。

一隅を照らす運動が「生命-あらゆる"いのち"に感謝しよう」と実践3つの柱に掲げる大きな目的の一つは、大自然の恵みによって生かされていることに感謝し、生命の大切さを自覚するということです。つまり、生命を大切にする、その生命に感謝するという素直な気持ちで、すべてのことを考えていきましょうということなのです。この場合の生命は、自分自身、家族、友人に始まり、地球上に暮らすすべての人々、そして人間だけでなく、すべての生きものの"いのち"にまで及びます。

地球上の全生物が網の目のような相互関係で生きている以上、私たち人間の取り分があって、勝手な生き方はバランスを崩すことになることを充分にわきまえ、一人ひとりが思いやりの心を持ち、日々の生活を送ることが大切ではないでしょうか。