一隅を照らす
一隅を照らすとは
「一隅を照らす」という言葉は、伝教大師最澄(767~822)が著された『山家学生式』の冒頭にあります。
伝教大師は『法華経』の教えを礎とした天台宗を日本で開かれるに当たって、
僧侶養成の指針などを『山家学生式』に著して嵯峨天皇に提出されました。
道心ある人を名づけて国宝と為す
古来、中国では「国宝」とは何かという議論が盛んに行われたようです。伝教大師は、「道心」をもった人こそが国宝だとお考えになりました。
「道心」とは、仏の道を究めようとする心、求道心です。伝教大師は、求道心をもった菩薩僧こそが国の宝であり、そのような僧によってこの国を仏の国にしていきたいとお考えになりました。
僧侶ではない方ならば、真実を探し求める心をもって自分の役割や仕事などに誠心誠意打ち込む人が、道心の持ち主であり国の宝といえるでしょう。
大師は、道心を持った国宝的人材を比叡山で育成し、その僧の精神や行いが社会全体に及んでいくことを願われました。
一隅を照らす此れ則ち国宝なり
「径寸十枚」とは金銀財宝などのことで、「一隅」とは今自分がいる場所や置かれた立場を指します。
お金や財宝は国の宝ではなく、自分自身が置かれたその場所で、精一杯努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも代えがたい貴い国の宝なのです。
演劇の舞台も主役以外に脇役や裏方など、たくさんの役者がそれぞれの担当をしっかり果たしてこそ、観客が満足する舞台を上演することができます。また、国も総理大臣だけで成り立っているのではありません。国民一人ひとりが持ち場を守り、仕事をしっかりとすることによって国が成立しています。
会社における上司と部下、家庭における親子の関係など、それぞれにおいて使命を自覚し、自分の仕事や生活に励むことが人間としての基本です。
一人ひとりがそれぞれの持ち場で最善を尽くすことによって、まず自分自身を照らします。そしてこれが自然に周囲の人々の心を打ち、響いていくことで他の人々も照らしていきます。そうしてお互いに良い影響を与え合い、やがて社会全体が明るく照らされていきます。
「一隅を照らす」ということは、各々の仕事や生活を通じて、世のため人のためになるように努力実行することで、お互いが助け導き合い、あたたかい思いやりの心(仏心)が自然と拡げられていくのです。
悪事を己に向かえ好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり
「悪事」というのは社会的、道徳的にみて「悪いこと」という意味ではなく、辛くて苦労するようなこと、人が好んではやりたがらないこと、そしてそういう立場や役割です。「好事」はその反対です。
「己れを忘れる」とは、自分の都合や損得勘定を超えて、相手の立場に立ってものごとを判断し行動することです。自分の欲が先に立つような生活ではなく、常に他の人のことを考え行動することこそが最高の慈悲であり、そのような僧侶を養成することを伝教大師は願われたわけです。それはすべての人にも共通する目標でもあるでしょう。
一人ひとりが自身の置かれている場所、立場において、他の人や社会を大切にしながら自分らしく輝くこと。自分のことだけではなく、周りの人や社会の幸せを願って生きること。その精神や行いは、平和で幸せな世の中を築いていく大きな光になっていくでしょう。この大師のご精神を掲げた運動が一隅を照らす運動です。
「一隅を照らす」のルーツ
「一隅を照らす」という言葉は、中国の歴史書などに源があり、そこには中国戦国時代(紀元前403年~紀元前221年)の斉の威王と魏の恵王の会話が次のように記されていて、後にはそれが引用されたりしています。
「恵王が、自分の国には直径一寸ほどの宝玉十個(径寸十枚)という宝があると誇ったのに対し、威王は自分の国には東西南北それぞれの国境や国内を守る家臣がいて、千里の先まで照らすようなすぐれた働きをしている。そのような人材こそが自分の国の宝だと言った。それを聞いて恵王は恥じ入って去った。(要約)」
伝教大師は、入唐求法の時に中国天台宗の道邃・行満両法師に師事されましたが、その師である荊渓湛然師の著述にある「各守一隅(中略)以此為將則照千里」という一節などを省略引用することによって、一隅(自分の持ち場)を守ることによって千里も先の国の隅々まで照らすような僧侶こそが宝なのだ。そういう菩薩僧を比叡山で育て、その者たちの働きによって、すべての人々が幸せに暮らせる世の中を作りたいという強いお気持ちを表されたのです。
※注伝教大師は、比叡山における大乗戒壇設立と人材養成の目的を明らかにするために、天台宗僧侶の修行規則である『山家学生式』を著し、嵯峨天皇に請願しました。弘仁9(818)年5月13日に上奏した、六条よりなる『天台法華宗年分学生式』(通称「六条式」)、同年8月27日に上奏した、八条よりなる『勧奨天台宗年分学生式』(通称「八条式」)、弘仁10(819)年3月15日に上奏した、四条よりなる『天台法華宗年分度者回小向大式』(通称「四条式」)を総称して『山家学生式』といいます。
また、「一隅を照らす」という言葉については、「照于一隅」「照千一隅」というような議論がありますが、昭和49年7月23日に開催された天台宗勧学院議において「照于一隅」を「一隅を照らす」と読み下すという統一見解が出され、一隅を照らす運動総本部では、この決定に依拠しています。