たすけあい共に輝く命がある 天台宗 一隅を照らす運動 The Light Up a Corner of the World Activities

1.生命 生ききるいのち

自分とはどんな存在でしょうか。何のために生きているのでしょうか。私たちは気がついたらここにいました。気がついたらこの世の人になっていました。

「いのち」はどこにあるのでしょうか。身体にあるのでしょうか。それとも心にあるのでしょうか。そして生から始まって死とはどういうことでしょうか。

生には「生まれる」ということと、「生きる」ということの大きく2つの意味があります。私たちにおいては、前者は生命の誕生で、後者は生・老・病・死という人間の一生です。

無論、「いのち」は人間にも動物にも植物にも、あらゆる生き物に宿っています。いのちという言葉から、自分自身や家族のこと、身近な動物や草花のこと、毎日の食事のこと、野山や海や川といった大自然のこと、地球のこと、そして宇宙のいのちにまで、様々なことに思いが及びます。

そのような思いや疑問は際限もなく尽きませんが、人間として生きていこうとする時、そのような根源的な問いをするのは、自然なプロセスです。人間、その経験や苦闘によって自ずと成長していきます。そして心の中に生じた疑問に自分なりに回答を求めて与えることを通して、私たちの力をはるかに超えたものへの畏敬の念や、絶対的、神秘的なものの存在に気づかされていくことでしょう。そして自分の存在を確認して安心(あんじん)を得ると同時に、生かされていることへの感謝の念が生まれ、同時に、同じいのちを持った者として他者への思いやりの念も生じてくるのではないでしょうか。

さて、「いのちは誰のものですか?」と質問されますと、みなさんは大抵「もちろん自分のものです」と答えます。ちょっと待ってください。

人は独りで生きられないのと同じく、人は自分の意志によって独りで生まれたわけではありません。誕生日だって自分が決めたことではなくて、後から教えられたことです。

では、もし運悪く交通事故にあって、ケガをしてしまったとしましょう。その連絡を聞いて真っ先に心配するのは両親や家族ではないでしょうか。無事でありますようにと必死に祈るに違いありません。いのちというものは、慈しもうとする、育もうとする、愛そうとするすべての人のものであると考える時、自分一人だけの生命であるとは決して言えないと思うのです。

私たちは、いのちを考える時、自分自身の心身だけにとどまらず、自分の家族や地域社会、ひいては世界中とつながっているということを意識しましょう。水、空気、食べ物といった周囲の環境と関わりながら生きているということ、つまり自分以外のあらゆるものと関係があってはじめて自分自身が生きている、生かされていることに気づかなければなりません。

みんな元気でまた、生命は自分自身でつくったものではありません、いただいたものです。お金で買えるものでもありません。同じものをつくることもできませんし、全く同じものが存在するわけもありません。個々の生命は唯一無二のものであり、かけがえのないものなのです。
「人身受けがたし、今すでに受く」と『三帰依文』(さんきえもん)にありますが、私たちが「気がついたらこの世の人になっていました」という曖昧な事後認識ではなく、この世の人となること自体が非常に困難で有り難いということを自覚すれば、受けた生命を精一杯全うして人生を送ろうと考えるはずです。
「人間には死ぬことと同じように、避けられないことがある。それは生きることだ。」
これはチャップリンの映画『ライムライト』での台詞です。人は生まれていつかは死ぬ運命にありますが、しかし、今を生きなければなりません。
「何のために生きるのか、何のために生かされているのか」を自問し、生きる意味を追求するということは、自分なりの人生目標や目的を定めるということでしょう。
伝教大師は『顕戒論』(けんかいろん)という書物において、「どんな人間でも12年を経れば必ず一験を得る」と申されています。験とは仏道修行によって現われた効験のことで、誰でも12年間一つのことをやり通せば、必ず立派な結果を生む行いができる人になるという意味です。12年といいますと、やはり継続と忍耐が必要ですが、結果、自ずと成長し、目標に近づくことができます。人生において「一験あり」という人間になれるよう、積極的に生きて、生き抜いて、自分の人生を充実させる、生を全うする、つまり、生ききるいのち、死にきるいのち、すなわち、生ききってこそ、死にきってこそ人生です。

いずれにせよ、単に人間の身体とその死という「命」ということだけでなく、精神的かつ社会的なことも含めた多面的で総合的な存在である人間としての「いのち」を考える必要があるでしょう。

さらに、高度な科学文明の恩恵に預かり、何かと忙しい現代社会にあって、私たちを取り巻く環境が大きく変わったことで、逆に人間の心身をおびやかす度合いが強まっていると言えないでしょうか。だからこそ、一人ひとりが常にいのちについて考え、学びあい、教えあい、意識することが大事になってくると思います。

例えば、家族や友人あるいは動植物の死といった死別体験、赤ちゃんの誕生といった身近な生命の誕生。友人との楽しい遊び体験や人生トラブル・挫折。恋愛や失恋。難問や目標をクリアした時の達成感。未知の文化とのふれあい。小説や映画、音楽・芸術での感動体験など、これらは人それぞれの日々の経験ですが、日常生活でのささいな出来事も、すべて「いのちの体験」に通じます。そして生きることを喜び、自他のいのちの尊さを感じ取れる人になるのだと思います。