たすけあい共に輝く命がある 天台宗 一隅を照らす運動 The Light Up a Corner of the World Activities

一隅を照らす運動のあゆみ

一隅を照らす運動のはじまり

「一隅を照らす運動」が発足したのは昭和44年(1969)6月20日です。ちょうど、大阪万博の開催を目前に、東名高速道路が開通し、マイカー(自家用自動車)が普及しはじめた頃です。当時の日本は高度経済成長の道をひた走り、「消費は美徳、使い捨てが当たり前」という風潮が広がっていました。日常生活には品物があふれ、表面的、物質的には確かに豊かになりました。

しかし、目覚ましい科学の進歩や経済成長の代償として、人々の心は物欲と自己中心的価値観にとらわれ、「心の豊かさ」を見失っていったのではないでしょうか。

このような状況に警鐘を鳴らし、混迷する日本社会において、伝教大師最澄さまのご精神を現代に生かし、「本当の心の豊かさを」と訴えた天台宗は、一隅を照らす運動を積極的に展開しました。日本中に引いては世界中に一隅を照らす人々を育成し、明るい社会(仏国土)を築いていこうという「一隅を照らす運動」のスタートです。初代会長であった故・今東光(僧名=春聴)師を先頭に、心の豊かさとは他人を思いやれる心であり、自利利他の自分に目覚め、人や物に、そして自然に感謝する心の大切さを訴えました。

今東光初代会長の辻説法今東光初代会長の辻説法

以来、全国に教区本部や支部を組織して、各地での「一隅を照らす運動推進大会」はもとより、会員の研修活動、百万巻写経運動、合掌運動、社会福祉活動、地球救援事業(募金活動や現地派遣)など、様々な実践活動を行ってまいりました。一隅を照らす運動は国内のみにとどまらず、今や地球規模へとその活動の輪は広がっています。

現在では、多くの人々が自分を、家庭を、社会を、明るく心豊かにしようと手をつなぎ、一隅を照らす運動に参加しています。平成16年(2004)に発足35周年を迎えましたが、一隅を照らす運動の教えそのものは、その時代の推移によって表現や実践方法が変わることはあっても、人々の幸せのための運動であるという基本理念は決して変わることはありません。

ヨハネパウロ2世のメッセージと比叡山宗教サミット

第253世天台座主・山田恵諦猊下とローマ教皇・ヨハネパウロ2世との抱擁第253世天台座主・山田恵諦猊下とローマ教皇・ヨハネパウロ2世との抱擁

一隅を照らす運動の歴史の中で、昭和56年(1981)2月14日という日は、後世に伝えるべき重要な日です。
この日、ローマ教皇ヨハネパウロ2世が、仏教、神道、新宗教も含めた日本の諸宗教の代表者をお集めになって、次のようなお話をされました。

「ローマから東洋のこの名高い国への初めての訪問に際し、今から1200年前に日本が生んだ、皆様の偉大なる教師である最澄の言葉を用いるならば、無我、友情、慈悲の極致としての他人の奉仕、"己を忘れて他を利する"ことを、皆様は人々に植え付けてくださる大切な役割を果たしておられます・・・」

無我、友情、慈悲の極致としての他人の奉仕、すなわち「己を忘れて他を利する」、これこそ一隅を照らす運動の教えの精神そのものでありましょう。ヨハネパウロ2世は、伝教大師最澄さまのお言葉を引用されて、これからの全世界の人心のあるべき方向性を示されました。つまり、伝教大師の宗教的精神が万国共通のものであると同時に、宗教として大変意義ある教えであることを意味します。

「伝教大師のお名前とお言葉が出てきて、その時は感銘で体の震えがとまらなかった」と、故・山田惠諦253世天台座主猊下は申されていたということです。その後、山田座主猊下は、ヨハネパウロ2世が引用された伝教大師の「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」のご精神を世界中の人々に知っていただかなくてはならない、世界平和という世界の各宗教の共通する目標に向かって、宗教協力を一層推進しなければならないと、日本はもとより世界の宗教者を比叡山に招く計画を立てて発表されたのでした。

比叡山宗教サミットの平和の祈り(1987年8月4日)比叡山宗教サミットの平和の祈り(1987年8月4日)

伝教大師のお言葉に、「一目の羅、鳥を得ることあたわず。一両の宗、何ぞ普く汲むに足らん」(『天台法華宗年分縁起』)があります。これは、奈良仏教とともに天台宗公認を願い出た時のもので、一つの網の目で鳥を捕らえることができないように、一つの宗派だけではすべての人々を救うことはできないということです。つまり、山田座主猊下は、世界的視点に立った時、仏教もキリスト教もイスラム教も、あらゆる宗教が網の目であり、それぞれの教義や地域や文化などの違いと役割を尊重しながら、お互いが調和・協力して世界平和に寄与することができると確信されていました。

そのヨハネパウロ2世からのメッセージが、後に、昭和62年(1987)8月4日に開催された「比叡山宗教サミット」の成功に繋がったエピソードです。
日本宗教界が総力を結集し、世界の宗教者が比叡山に集い、世界の平和と人類の幸福への提言と祈りの集会が開かれた昭和62年も、 一隅を照らす運動の活動が大きく世界へと広がるきっかけとなった年と言えるでしょう。以来、この比叡山宗教サミットの精神は今日まで着々と受け継がれ、平成19(2007)年には、はや20周年になろうとしているのです。

天台宗全国一斉托鉢と地球救援事業

一隅を照らす運動のテーマの一つは「奉仕」です。仏教では布施の精神を実践することが奉仕であり、まさしく伝教大師の「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」のご精神と言えましょう。奉仕は他のための行いであり、また同時に自分自身の修養のためという意義もあります。

全国一斉托鉢の様子全国一斉托鉢の様子

比叡山開創1200年を機に、昭和61年(1986)から毎年12月1日を「天台宗全国一斉托鉢」としています。全国各地の街頭や戸別での托鉢は社会貢献の実践行として定着し、今日に至ります。この托鉢の浄財は、各地の社会福祉協議会、NHK歳末たすけあい、日本赤十字社などを通じて、様々な施設や団体に寄付されています。

一方、平成2年(1990)に中東湾岸戦争が勃発しました。天台宗は直ちに戦争反対の声明文を発表するとともに、一隅を照らす運動総本部では、戦争被災者のために救援事業窓口を開設し、「地球へ慈愛(あい)の灯を」を合い言葉として、大勢の方々から義援金の協力を得ました。呼びかけに応じて全国から集まった募金は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)へ送られ、被災者のために役立てられました。

そして、平成3年(1991)からは、一隅を照らす運動総本部に救援活動を取り扱う担当部門として「地球救援事務局」が常設されました。これ以後、地球救援事務局は、例えば阪神淡路大震災(平成7年)、日本海重油流出事故(平成9年)、新潟県中越地震(平成16年)といった国内外における災害や紛争の犠牲者救援に対応してまいりました。また、毎年、インドやタイ、ラオスといったアジア地域の教育充実や医療活動などのために支援活動を続けています。

災害・紛争・貧困、そして環境破壊や汚染。今、地球上に様々な問題が発生しており、人類が共通して取り組むべき課題が山積しています。一隅を照らす運動は、お互いが支え合い、支えられあう存在であるという運動精神に基づき、人類共存と世界平和の実現のために、一人ひとりが子孫や地球の未来について真剣に考えて、身近な取り組みを実践することを呼びかけながら、地球救援事業を展開しています。