たすけあい共に輝く命がある 天台宗 一隅を照らす運動 The Light Up a Corner of the World Activities

家庭宗教のすすめ~信仰と実践~

伝教大師の真実のお言葉

「宝とは道心なり」「一隅を照らす人が国の宝である」ということは、天台宗を開いた伝教大師の真実のお言葉です。一隅を照らす運動は、このお言葉を体した信仰培養のための運動であると理解することが原点であり、出発点です。一隅を照らす運動を通じて一人ひとりの心に信仰の灯火(ともしび)をともし、そして育み、人間性豊かな人格形成や人材養成につなげ、国宝的な人々が満ちあふれる社会(仏国土)の実現を目指します。

そのためには、まずもって一人ひとりが人間に生まれたことに感謝し、私たちに具わる仏性(ぶっしょう・仏としての性質)を引き出し、それを道心(どうしん・道を修めようとする心)によって我々の日常生活において磨き、発揮することが運動の基本です。「一隅を照らす」という包容力と行動力を併せ持つ、すばらしいお言葉を体する時、「一隅を照らす」という言葉の奥に深く大きな宗教的意味を感じ、この運動に従事する人たちの行為は信仰心に根ざしたものといえるでしょう。

比叡山延暦寺の「不滅の法燈」比叡山延暦寺の「不滅の法燈」

伝教大師は『山家学生式』において「国宝とは金銀財宝ではなく、道を修めようとする心(道心)を持つ人間そのものであり、己を忘れて他を利する実践ができる人である」と説かれています。他のために自分を捧げる精神こそ、菩薩の姿に他なりません。ですから一隅を照らす運動は良いことをしたり、親切心を他に施すというような活動だけではなく、宗教的意義において自己をみつめていく崇高な仏道修行ともいえるでしょう。

自分自身が仏様の心になり、そして仏様の心で行動することが一隅を照らすことです。したがって、一隅を照らす運動は単なる道徳運動や親切運動ということではなく、信仰心をベースに、生き甲斐を感じながら少しでも世の中のために役に立とう、人々の幸せのために努力しようとする社会運動なのです。

信仰をつちかう4つの心と行い

伝教大師の『願文』(がんもん)(※注)に、「発(おこ)しがたくして忘れ易きは、これ善心なり」というお言葉があります。生まれたばかりの赤ちゃんは無邪気そのものですが、大人になるにしたがって知識や智恵を身につけると同時に、妬みや怒りや愚痴も起こり、善い心と悪い心をいろいろと持ち合わせるようになります。
仏教の教えの中で『維摩経』などに、悪心を防ぎ、善心の持ち方として「四無量心」が説かれます。「広大で計り知れない4つの心」のなので四無量心といいます。

  • 慈(いつくしむ): 慈しみによって人を幸せにしてあげたいと思う心
  • 悲(あわれむ): 人の悲しみを自分のものとして苦を抜いてあげたいと思う心
  • 喜(よろこぶ): 人の喜びを自分のものとして共に喜ぶ心、他者を幸福にする喜び
  • 捨(すてる): 人に施した恩も、人から受けた害も忘れ、一切の報いやとらわれを捨て去る心

いかがですか。まずはこの4つの心を大切にしましょう。
そして次は、これらの心の持ち方を具体的に実行する番です。仏教には人々を導き、救う行いとして4つあると説かれています。

  • 布施(施しを与えること)
  • 愛語(慈愛の言葉)
  • 利行(他人のためになる行為)
  • 同事(他人と協力すること)

四摂法イメージこの4つの徳を四摂法(ししょうほう)、または四摂事(ししょうじ)といいます。
慈・悲・喜・捨の四無量心が実際に行動として現われる時、それは布施(ふせ)・愛語(あいご)・利行(りぎょう)・同事(どうじ)の四摂法となるのです。
ただ単にお金や物を与える、困っている人々の手助けをするということではなく、同時にこれらの行為をすることができる自分の境遇に感謝や喜びの気持ちを持ちあわせることができる人になることが大切です。仏教では仏様の心でもって周囲や社会のために働きましょう、利他の精神で働かせていただきましょうと教えます。慈・悲・喜・捨の心で布施(ふせ)・愛語(あいご)・利行(りぎょう)・同事(どうじ)を身につけ、行える人を菩薩といい、それらの実践がそのまま菩薩行です。
一隅を照らす運動は、仏教精神を基本とし、信仰心を自覚して育むもので、その自覚に根ざした天台宗の社会啓発運動です。したがって、この四無量心と四摂事に裏付けられた行為を各自が家庭や持ち場でどんな小さなことでも精一杯取り組み、自らが世の中を明るく照らし、人間としての正しい生活態度を示すことが、私たちの一隅を照らす運動の実践といえるでしょう。

※注『願文』(がんもん)
伝教大師最澄さまが19歳の時、比叡山に入って草庵を結び、自刻の薬師如来を祀り、不滅の法燈をかかげ、『願文』を捧げました。この時、延暦7(788)年が比叡山の開創です。伝教大師は、自利利他の両面を備えた大乗仏教の菩薩になるために、自己の修行の決意を書き示し、5か条の誓願を立てました。全文550字の簡潔な文章で、厳しい自己反省と強い利他の精神が表明されています。

家庭宗教のすすめ

皆さんの信仰は普段の生活の中にあり、その生活の基本は家庭に他なりません。
第253世天台座主で一隅を照らす運動総裁でもあられた故・山田恵諦猊下(やまだえたいげいか)は、「家庭宗教」ということを常々熱く語っておられました。
「家庭教育の第一歩は自己の家庭の歴史を子どもに教えることである」「家庭教育の根本はご先祖様への敬愛である」と述べられ、『家庭宗教のすすめ』ということを家庭における一隅を照らす運動の基本に据えて檀信徒の皆さんはもとより、広くすすめておられたのです。
教育とは円満な人格を養成することで、単に知識のみを教えることではありません。また、家庭というものは人間が協力して生きていく原点であり、ご先祖様からの流れを現在から未来へと続けて行く場所です。戦後は核家族化が進みましたが、代々その時代に生きてきた人たちの智恵と文化と歴史を教育、伝承するという意味からも、家庭における親・子・孫の深い絆がその礎です。まずは、家族と過ごす時間を大切にすることからはじめてみてはいかがでしょうか。
また、国を人体に譬えると、家庭は細胞の一つひとつであり、国はその各家庭が集まっているようなもので、家庭が健全であってはじめて国家も健全となりましょう。

さらに、山田猊下は「家庭においても祈りが大切である」と説かれ、何事にも畏敬(いけい)の念を持ちつつ、家庭生活から皆それぞれの宗教心の培養を望んでおられました。祈りのある生活には反省も生まれます。山田猊下の主張は、祈りを離れては、宗教はないということです。

それでは、一隅を照らす運動の精神を家庭でどのように生かせばいいのでしょうか。それは「”己を忘れて他を利する”という無我の精神による暮らし」と、「感謝のある生活」に尽きるということです。家庭も一つの社会と考える時、感謝のある生活とするための方法として、山田猊下がすすめる「家庭宗教」について、次の4つを心がけましょう。

  • 仏壇や神棚に手を合わす
  • 「おはようございます」という挨拶をする
  • 食事の際に「いただきます」と感謝する
  • すべてのことに「ありがとう」と言える

自然と手を合わす素直な心自然と手を合わす素直な心

私たちは、ご先祖様、両親から生命が受け継がれて、今の自分があります。決して一人で生きてきたわけではなく、多くのお陰をいただきながら、現在の中に過去と未来との流れにおいて生きているのです。したがって「家庭宗教」というのは、永遠の過去・現在・永遠の未来というつながりを根底に置きながら、感謝と思いやりの心を醸成するために、日常生活の中に感謝・懺悔(反省)・祈りの三つを実行することです。その目的は、各々の宗教的情操を育み、本来具わっている仏性に目覚めるために他なりません。

なお、山田恵諦猊下の講演録である『一隅を照らす6つの約束』も参考になさってください。

お授戒と一隅を照らす運動

一隅を照らす運動は、天台宗の教えに基づいた信仰と実践による社会啓発運動です。伝教大師は、私たちが一隅を照らす道心ある人、すなわち菩薩となるように励まされました。
この信仰において核となるのが円頓戒(えんどんかい)で、誰もが生まれながらにして持っている仏様の心(仏性)に目覚め、仏様の力を得るためのものです。この仏力を発揮して、自分の生活、家庭、社会を力あるものにします。その儀式をお授戒(おじゅかい、正式には円頓授戒会・えんどんじゅかいえ)といい、仏様の弟子となって、その教えを行う約束をするのです。円頓とは、円満にしてかたよらず、何の修正もなく、人間のありのままで自然と仏様の心を理解し、自利利他の菩薩の働きができることです。
お授戒では、「1.悪いことはしない」-摂律儀戒(しょうりつぎかい)、「2.他のための善行を積む」-摂善法戒(しょうぜんほうかい)、「3.人々や社会のために尽くす」-摂衆生戒(しょうしゅじょうかい)という三聚浄戒(さんじゅじょうかい)について各自が誓いを立てます。

人は誰でも、悪は止め、善を行い、社会のためになりたいと願います。戒は「すべての悪を取り除き、多くの善を努め行い、人のため社会のために尽くす」という仏様の心そのものです。御仏の力をいただいて、お授戒した瞬間から、決して失われることなく、自ずとこの3つのことを実行しようとする心が湧き起こります。つまり、利他の誓願に裏付けられた円頓戒を受戒することが一隅を照らす精神を現代社会に生かす原動力となるというわけです。

一隅を照らす運動では、それぞれの心にある「仏性の開発」ということを柱に据えています。仏様と深く有難い因縁を結ぶというお授戒の功徳によって、仏性の種から芽を開くきっかけとなり、そして信仰心の培養につながるのです。

お授戒は一人ひとりの仏性を呼び覚ますお授戒は一人ひとりの仏性を呼び覚ます

「あなたの中の仏に会いに」というスローガンのもと、お授戒により自分の心の中にある仏様を自覚することを呼びかけることを目指し、天台宗開宗1200年の嘉辰には、総授戒運動が全国で展開されました。
お授戒を受けることによって、仏様の光が自身の心中に入り、一人ひとりの仏性を呼び覚まします。私たちは、お釈迦様の真(まこと)の子として、また伝教大師と同じような心をもって行動する菩薩となるのです。心に仏性自覚の灯をともし、世界に輝く国宝になるよう努める、世のため人のために尽力する、その実践が一隅を照らす運動なのです。

(注)本稿には第253世天台座主で一隅を照らす運動総裁でもあった故・山田恵諦猊下の法話や著書を参考にした部分がございます。